kzhr's diary

ad ponendum

構成

この短い文は、

  1. 眞名序
  2. 1から10條までの親鸞の言葉
  3. 10條から18條までの唯圓の意義批判
  4. 後序

といふ構成からなつてゐる。10條において、親鸞の言葉は唯圓による歎異の據り所と變つていく。以下に簡單に構造を明らかにする。

眞名序はこの文が書かれることになつた目的・由來が書かれてゐる。即ち「先師ノ口傳之眞信ニ異ナルコトヲ歎」くのである。そもそも東國の教團では善鸞の事件もあり、異義の發生しやすい土壤が合つたのが、親鸞の死によつてますますそれが加速された。主に惡を止め善にいたることが往生の路であるとする異義と、經典を學ぶことが往生の路であるとする異義である。そこで、親鸞が唯圓に語つた言葉を副へて、なぜそれが異義であるかを説明するのが、この抄であると述べる。

この「先師ノ口傳」の先師を法然と捉へる見方もある。さうすると、嘆きの主體は唯圓から親鸞に移つていくやうにも見える。

1から10條では、親鸞が直接唯圓に語つたのであらう言葉が書き連ねられてゐる。中でも、3條は惡人正機説を明快に語つたとして現在でもよく引かれる部分であるが、親鸞の言葉の多くが法然などの先人の言に由來するやうにこの部分もまた例外ではない。親鸞はただ純粹に法然の思想を我が物とし、廣めようとしただけであつた。

そこでは、罪深き人間は、なかなか學問によつて往生することはできない、であるから阿彌陀佛にひたすらすがり「南無阿彌陀佛」の六字名號を唱へ、阿彌陀にお助けしていただきなさいと法然は言つてゐたといふ。唯圓はこの言葉を關東から善鸞事件について親鸞に質す面々の合間に聞いたと思はれるが、さう言ふ面々に対し、親鸞は「親鸞におきては、たゞ念佛して彌陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかふりて信ずるほかに、別の子細なきなり」「このうへは、念佛をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々のおんはからひなり」と素つ氣無い。しかしそののち、念佛することの喜びと先師が彼のやうに語つたがために私は阿彌陀の本願を信じれるに至つた、煩惱限りなく深いわれらを、阿彌陀は自らの名を掛けるものすべてを救つてくださる、その理解を超えたすばらしさを、疑ひ深き彼の弟子たちに語るのである。阿彌陀の慈悲は限りなく、そして、自らに一度でも助けを求めたものすべてに分け隔てがないし、人が念佛をするのは、阿彌陀の計らひのためであるといひ、ゆゑに親鸞には、彼自身がその人をして念佛させしめた、弟子は一人もゐないと言ふのである。

10條に於いて視點は昔日にゐる唯圓から現在の唯圓のものに戻り、いちいち異義とその異義である理由を説き始める。念佛は、阿彌陀の本願が不可思議、すなはち人間では思ひ至ることができないために、「無義をもて義とす」なのである。親鸞の教へは善行に勵み、惡を捨てよとも、惡に勵めとも言はない。因果によりて人間は惡をも善をも行ふ。百人を殺すも殺さぬも、因果によりてその人の善惡を離れてゐる。しかし、それでも阿彌陀は自らにすがるものに慈悲を授け、淨土に上らしめるのである。ゆゑに、惡行を勸めるのも善行に勵めといふのも、異義である。また、經文を讀まぬ學問せぬものは往生できないといふのも、阿彌陀の本願を無視したことである。しかし、阿彌陀の本願を無視するものでさへも、阿彌陀は救ひの手を差し伸べるとする。

後序では、一度筆を置いたと見られる唯圓が、再び筆を取つて、親鸞の言葉を再び綴る。曰く、親鸞の時代でも法然の教へは、法然に直接教へを授かつたものでさへ違ふものがゐた。親鸞法然の弟子であつたある日、親鸞が自らの信心と法然の信心は一つだと言ひ、それに親鸞のほかの弟子が文句をつけた。しかし、法然は云ふ。「阿彌陀からいただいた信心ゆえに、親鸞の信心も私の信心もひとつである」と。そして、唯圓はまた曰く「彌陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるをたすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよと、御述懐」したといふ。そして、「くりごとにてさふらへども」と言ひつつ、筆を置く。