kzhr's diary

ad ponendum

自分のためにメモすること

日本の最初の和文活字は、1869年に本木昌造がガンブル・ウイリアムの考案した、号数活字のシステムを参考にした「号数制」が基本になっている。ガンブルはスモールパイカ(11ポイント)を5号活字としたが、本木昌造はこの11ポイントに相当する日本の尺度にあたる鯨尺の1分をあてた。といふのはよくわからない。Small Picaが五號なのは正しい。しかし、それを鯨尺に變換した、といふのはどこからきたものか。鯨尺で活字の大きさを決めたとするのは三谷幸吉氏であるが、小宮山博史氏はこれについて


三谷は本木昌造の文章から、活字の高さは曲尺七歩八厘(三・三六ミリ、〇・九二九インチ)であり、最初に作った活字は二号、初号であったが、曲尺五厘単位で大きさの段階をとると差が大きすぎるので、鯨尺二厘五毛単位に直したと解釈する。
と書いてをられる。これを見るに、五號が基準となつたといふのは根據が全くないこととなる。三谷氏の説によれば5號はすなはち鯨尺における1分であつたから、これが基準と思ひこんでしまはれたのか。

まあ、この連載は活字に關する部分は誤りが少なくないやうに思はれるので、素人目にも明かにをかしい部分の指摘にとどめるとする。