kzhr's diary

ad ponendum

moji

エリート主義、といふのはまあ当たつてゐるねえと感じた。だが、それだけ。

エリート主義といへば、『聚珍録』待ち遠しい府川先生*1が、小宮山博史府川充男、小池和夫『タイプフェイスとディジタル・フォント–築地体等仮名復刻フォントに寄せて』(2004、大日本スクリーン製造)で、後の「日本の活字書体名作精選」になる文字群についてかう述べてゐる――


この仮名フォントはプロフェッショナルの名にふさわしい人だけが手に入れて使ってくれればそれで良い。素人とヘタクソはこのフォントに触るんじゃないというのが裏のコンセプトなんだな(笑)。
先日、何かについてGoogleで檢索してゐて偶々見つけた2ch.netのとあるスレッドで、「日本の活字書体名作精選」は使ひづらい、といふ意見があつたが、これはまさに府川さんの狙ひ通りのことなのだなあと思つた。

さて、その、「日本の活字書体名作精選」では築地後期五號の覆刻もなされてゐるのだが、後期六號も本文書體として使はれてゐたのではなからうか。勿論、通常の用途では多用されなかつたとは思ふが、辭書では多用されてゐたやうなのであるし、後期三號よりも後期六號のはうが本文用としては使ひやすいやうに思はれた。ところで、「日本の活字書体名作精選」の使用例はあまりないやうなのだけれど、後期三號もつかはれないのは、愛好者(何)としてさびしく思ふのであつた。それに對しての、游築シリーズは最近見る機會も増えてきてゐるので。游築といへば、日曜だかの朝日2面の文春文庫の廣告に、游築初號かなが使はれてゐたと思ふが、「と」が、一つだけ、初めて見る字であつたのは、あれはなんなのだらう。

*1:発売日が決まるのはいつでせうか?