鳥と自由と
http://d.hatena.ne.jp/Sampo/20050620#p1
人が自由の象徴として鳥を見るとき、それは非拘束の象徴としてであつて、鳥の苦勞は問題にされてゐない*1。
鳥は人間同樣環境に拘束される、しかし、何から非拘束であれば自由であるといへるのだらうか、何からも拘束されないのは、それはこの世、少なくともこの地球のほかのことで、我々には與り知らぬことなのではなからうか。
人間を不自由にしてゐるものと、鳥を不自由にしてゐるものとは大きく性質が異なるのではなからうか。人間が自分は自由であると述べるとき、彼は何に拘束されて何から拘束されないか。
鳥が自由であると云つたとき、鳥が他者の意思に左右されず行動しうることによつてそれを自由だと云ふのであれば、鳥が自由でないときといふのは滅法少ないのではなからうか。利己的な遺傳子といふのはあるが、飼育にしろ、捕食にしろ、他者が鳥に命じてゐない以上は自由といへる。
まあ、人は自分が拘束されてゐると思ふとき、鳥の苦勞も知らないで鳥は自由であるなあと嘆ずるものだといふのが落ちとでもならうか。さうでないときもあるかな。