kzhr's diary

ad ponendum

古意の保存を巡るエトセトラ

意識のめぐりがはつきりしないので、引用さへもせずに思つたことを述べるだけであるのだけれども、正字かなグループでのイワマンさんの記述で、書體史から考へて、違和を覺えるところがあるので、いくらか、書かうと思ふ。

正字イデア」といふものに、反對しないしむしろ私の考へと合致してゐよう。しかし、問題なのは、白川先生自身が明朝體で正字を示すのに懷疑的であつて *1、そして、實際それにはかなり無理があるといふことである。そもそも、甲骨文や金文に見える書體と、篆書以降のものとは、意符の配置のしかたが全くといつていいほどに異なる。たとへば「渉」を字通で引いて、掲出されてゐる、「説文」字形、「甲骨」・「金文」字形を比べると、「止」と、「水」との配置に變化があるのがわかる。「止」が二つ縱に竝ぶのが「歩」であるが、その二つの「止」が「水」を跨ぐやうな甲骨・金文の意符配置は、すでに篆書の時代に失はれてしまつたのである。また、甲骨・金文に於いて「王」と「玉」とを區別してゐたものも、隷書にはなく、「玉」に點を附することで區別するやうになつた。すべて、書體の變遷にはかやうな變更がみられるのであつて、それはその書體の特徴である。しかし書體は突然現れるやうなものではなくて、すべてある書體からの派生である。派生したときの特徴を保存する限り、書體をさかのぼつてはるか甲骨の字樣へ到達するのではなからうか。派生書體の持つ、「甲骨文へのイデア」、それを「正字イデア」としたはうが、派生書體の樣式を舊きと異なるとして變更しても古樣は取り戻せないのだから、その書體の美しさをそこなはないのではないか、と思ふ。

*1:であるから、白川先生の著書はまだしも、辭書の掲出字までが明朝體であるのは全く解せないことである