kzhr's diary

ad ponendum

背景

作者唯圓は善鸞事件の折に親鸞より直接話を聞いたものであつた。善鸞事件とは何かと言ふと、親鸞が東國から急に京都に歸つた後、東國での動搖に對し、親鸞は息子の善鸞を送ることで對處しようとした。しかし、善鸞は自分は親鸞より眞に往生する道を教はつたと嘯き、念佛は地獄行きの種であると言つた。それを知つた親鸞善鸞に對し親子の縁を切つたのが、事件の顛末である。その後、關東から上洛して親鸞に事を質したのが唯圓を含めた一行だつたのである。

親鸞の死後、親鸞の教へであつた「自力の心を捨てて阿彌陀佛にすがる」といふものとは違ふ義を教團内で唱へる者が現れた。唯圓はそれらの説が教へを無視したものであると嘆き、文をしたためたのである。

これに、唯圓が本願寺を開き、口傳抄の作者である覺如に親鸞の教へについて教授したこと、口傳抄に、歎異抄と類似した文が含まれることを加へて鑑みると、覺如の要請により書かれたのではないか、とも問題提起されてゐる。