kzhr's diary

ad ponendum

阿彌陀佛に對つて「神は死んだ」といへるか

キリスト教の〈神〉はその存在自體が世界であり夫々の人間であり石である。對して、阿彌陀佛は我等衆生を救ひたいとの一念の結果佛になりたまうた。すなはち、ヘブライの〈神〉は人間に對して命じることができるといふことである。だが、キリスト教の〈神〉はその權利を態々抛棄し、その結果神は死ぬに至つたニーチェに指摘されたのである。一方阿彌陀佛は元々人間であり、解脱の結果佛になつたので、〈彼〉がこの世に對し行使できるものは、わづかに彼の遺した言葉の斷章と、〈彼〉に感化せられた人どもによつて〈彼〉の示した救ひの道へ進ましめることができるのみであるから、その點でキリスト教の〈神〉のやうに死ぬことはありえない。人が救はれなくなつても、〈彼〉は永遠に清淨であり、至高である。そのゆゑに彼は〈キリスト〉を世界に送り込むこともできぬし、ただ、人が死ぬときに佛の世界へ掬ひあげることのみができるのである。