權利が幸せをもたらすといふのはとんでもない勘違ひではあるが、しかし、權利をことさら意識せずともよいといふことには幸せなこともあらうはずである。その意味で、日本語を母語としてなんのうたがひもなく享受できてゐる人々は幸ひである。
「〜てゐる」、などの「て」はなんの文法的役割もになはないが、「〜てる」ともいふやうにけして落とされることがない。失語症で文法に完全に則ることがむつかしい狀態にあつても「て」は落ちないさうである(久保田正人『ことばは壊れない 失語症の言語学』…
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