kzhr's diary

ad ponendum

奇怪! 幼兒を殘して蒸發した家族

高校のときに部活の同人誌で發表したもの。當該團體の内規上高校以外での發表をしてゐませんでしたが、當該團體の傘下から離れたのでいくらか公表します。第一彈。現代假名遣/常用漢字なのは、發表のそのままだからです。

      • -

「朝目覚めて家族がいなかったときに家族の心配をするか七時からの『ハットトリック・インターナショナル』を見逃したことを心配するかはあなたの哲学の問題である。
「はじまりは一本の電話であった。昨日の朝、寝ていたらば、電話のベルが鳴り止まないのに起こされ、誰も出る様子がないので仕方なく寝床から出、出ようとしたとたんに鳴り止んだのであった。時計を見ると既に七時半であった。すなわち、小生の日課である朝七時からUCT放送で放映されるニューズ・ヴァラエティ番組『ハットトリック・インターナショナル』の七時十三分からの小コーナー「ピレネー伊東のマウンテン・カフェ」を見逃してしまったということに外ならない。これは我慢ならないことであった。というのも、「ピレネー伊藤のマウンテン・カフェ」内にあっては、前日の火星の運行量や宇宙線の飛来量など生活に欠かすことの出来ない基本情報が余すことなく提供されていたためであった。このような情報が毎日提供されているということは現代社会の奇跡とでも言うべきであって、いくらその次の林畑氏による天気予報が現代科学の粋と古来の勘によって古今にあって信じがたい的中率を示していようとも、「ピレネー伊東のマウンテン・カフェ」のすばらしさにはその影にすら行き着けないのである。まして、他の有象無象をなんと云おうか。何も云うべきではあるまい。
「さて、今語ったように小生が怒ったのち、ひとまず抗議をなすべきとの念に思い至ったため、台所へ赴き、母に呼びかけた。しかしそこにはいなかった。洗濯かと思って洗面所に行ったがこれまたいなかった。そういえば家の中がやけに静かである。朝の眠たげな中を慌しく昼の準備をするという活溌さがなく、ただ眠たさだけが支配しているのであった。不審に思って一部屋ずつ検証を行ったがどこにも誰も――申し遅れたが、小生には母のほかに父、兄、姉がある――いないので、次のような結論に達した。小生は今この家に一人である、と。
「父や兄姉であればその職務や学務のために家を早く出る可能性を否定できないが、母の職務は、小生の理解する限り、まだ食事も済んでいない小生を置いて家を離れるという可能性を持ち合わせていなかった。また、先ほどの検証で、他の家族についても職務や学務で家を出たのではないと判明していた。それを敷衍して考えると、更に次のような結論が得られた――この状態は長く続きそうである、と。
「そしてまた時計を見上げたところ七時五十五分であった。普段であれば父が起きだしてくる時間であったが当然来なかった。小生であればこの時間は引き続き『ハットトリック・インターナショナル』を視聴しながら現代社会の片鱗を観賞するところであったが、その日はまだそれをしていなかった。「ピレネー伊東のマウンテン・カフェ」の代わりにもならないことではあるが、それすら見ないのは伊佐坂恐ろしいことであった。そこでテレヴィジョン受像機をリモートコントローラーから起動する操作を行い、ダイニング・テーブルの自分の席に着いて、視聴を始めた。昔『ニューズはエンタテインメントだ』と発言した週刊誌界隈の人間がいたが、近頃のものはそれを否定できなくなっているらしい。いや、ニューズという形態そのものが、娯楽性を孕まざるを得ないというのはあるが、アナウンサーが事実を述べるに留まらず、何を思ったかを述べても咎められないほどになったのは、大いなる変化と云えよう。報道の大袈裟な部分を割り引くといかにも平々凡々なことばかり起こっているのは容易く知れるというものだ。たとえば、日照権侵害事件があったとしよう。事実――すなわち極力個人の解釈を退けて述べるという意味で、だが――をあげてみると、Bは廂を五センチメートル高くして、タレントAの家の盆栽棚にかかる日光量を十パーセント減らした――もちろん、これは仮定であり、十パーセントは厳密な計算によるものではない――減らしたとして、Aはどうすればよいか。Bに抗議した上で、棚を移動すればよいのである。Bはまた廂の高さを挙げるかもしれないが、無限にあげることはできないから、いずれあげ過ぎた廂が折れてB宅に災難が降りかかるのみである。しかし、Aは裁判に訴えてしまった、とする。それが、報道ではどうなるか。AとBとの諍いを事細かに、付近の住民の声など添えて、余分に伝えられるのである。たとえば、Bが廂をあげはじめた原因が、Bが長年Aの盆栽の自慢を聞かされるのに我慢ができなくなって、Aの盆栽に危害を加えようとしたためであったとすると、報道社にかかれば、いかにAの自慢話が無茶苦茶で、Bがいかに被害を蒙ってきたかが事細かに演出される。しかし、誇大を割り引いてしまえば、確かに大体はぱっとしない事件ばかりがあるのであるから、少しの脚色も許されよう。
「さて、今語ったように小生が考察を展開したのち、幼稚園に出発する時間に近くなったため、衣服を整え、手が届かないため焼けず、生のままの食パンを一枚食べ、戸締り、火の元、水回りの確認をして出発した。なかなかよい日和であった。春のうららの中をさっさかと歩いて幼稚園へ行った。平生であれば母親に付き添われて何の気兼ねなく行くところであるが、今日は一人であるので近所の諸賢の同情を買わざるを得ないのであった。途中、向かいの××さんとごみの集積場で鉢合ったときに『あら、××ちゃん、どうしたの?』と声をかけてきたのが最大の危機であった。まさか、『家族がいなくなったので一人なのです』などとは云えまい。ひとまず、『先に行っているのです』と答えてその場をごまかした。相手ははあともむうともつかない顔で、『気をつけてね』と云った。安穏な住宅街を抜けて、幼稚園に着いた。巧く混雑の頂点に到着したため、親がいないことを問うものはなかった。
「この通学路を経て、漸くとでも云うべきか、家族がいなくなったのだと認識した。しかし、蒸発なのか、戻ってくるものなのかは判然としなかった。一体なぜ彼等は小生を残して消えたのか? 夜逃げをするほど家計が切迫していたとは思えない。その判断の妥当性を問われれば、しかし、そうあってほしいとの心情がそう云っているだけに過ぎないことは自明であった。何気ない仕種、であるとか、生活の変化、であるとか、判断材料には事欠かないように思われるが、しかし、家計の中身を具体的に知っているわけでもないのに、演技では家族は騙せない、であるとか、そのような不確定の要素を、どこまで信頼していいものかははかりかねるものである。しかし、そのような不確定な要素を排除して行けば行くほど、己と彼等との関係を思わざるを得ないのである。彼等にとって小生とはなんだったのであろうか、であるとか、小生と彼等との関係についての問いは自明であるようで、実は、判断の停止がなされているだけに過ぎない。さまざまな前提を付け加えることによって、さもなんらかの関係が保証されているかのように誤解してしまう。しかし、何らかの行動・言動によって、規定が誕生し、判断停止のままではいられなくなったときに、問いが遮二無二繰り返されることになる。一体なぜ彼等は小生を残して消えたのか?
「小生はいすに座り物思いに耽っていた。これは小生の習慣であったため、教員は何も言わなかった。お呼びがあれば体を動かすのだが、そのうち誰も呼ばなくなってしまった。小生は楽しんでいたのだが、向こうは小生を入れても楽しいとは思わなかったようであった。確かに自由に思いに耽ることはできたが、だからといって眼前で一人退け者にされているような感覚はあってうれしいものでもないのである。しかし、その日に限っては、小生の存在自体が問われる大事態であると判明したため、そういうことは一切感じなかった。若いうちは苦労をしておけとは言うものの、このような苦労を文明化にあって課せられるのは多数ではない。多数と少数の絶対的な隔たりを難じつつ、終わりの見得ない思考に制動をかけて、より時限の近い問題の解決を図ることにした。まず第一に今後の生活をどうするか。いずれにしても家族がいないことは動かしがたい事実であるので、所謂『ご近所』をどうするか。また、生活をどのように維持するか。もし家に鐚一文残っていないのであれば早急に対策を取らねばならないであろう。第二に、小生は家族をどうすればいいのか。すぐ帰ってくるさ、などと陽気に構えて暮しながら待つべきであろうか。それとも、最早帰ってこぬものとして祖父母や親戚を頼るべきであろうか。二番目の問題については、さまざまな要素から後者を選びたくはなったが、しかし、前者を取るべきであるとの結論に達した。なぜかはわからなかったが、前者を取ったほうがよいようにどうしても思われた。一番目の問題については、家に戻らないことには解決しないのであった。ただ、ご近所の扱いについては、シミュレートをするべきであった。一つに、一週間くらいの生活が保てるだけの資金があったとして、なんと彼等に説明したものだろう。詮索好きで且つ干渉を嫌うこの愛らしき人々に、小生はなんと言って生きよう。一つに、『旅行に出かけたのです』などとしらを切る。しかし、恥ずかしくない理由で万が一幼児を残して旅行に出かける家族があったとして、ご近所になんの言い訳をするでもなく出かけるはずがあろうか、と考えれば使えない。すると、家に籠もってひっそりと暮らすほかないのであった。
「そうこうしているうちに幼稚園から帰る時間となった。普通は、親が来るまで待つものであるが、これも、隙を突いて逃げるように――実際逃げているのだろうが――帰った。帰り道では誰にも引っかからなかった。
「いい加減に小生も疲れてきたので、早めに終わらせてしまおう。帰って財布など通貨の入っていそうなものを探したが、なかった。よって今警察に来て諸賢に保護を乞うている。なぜ親戚ではなく警察を選んだかは省く。」
 ××日、××市××に住んでいた××さん一家が、次男の××君(六歳)を残して失踪した。詳しくは前述の通り。