kzhr's diary

ad ponendum

ウィキペディア日本語版観察記 16.5へのお返事

http://anond.hatelabo.jp/20091124183904

かういふ反応をいただくと,じぶんたちの情報発信がなにがまづかったのか,すくなからず思ひをいたすのだけれど,匿名ダイアリー執筆子へのお答へになってるかはとまれ,一スタッフとしてまあ独断で言ってもよいやうなことを発信しておきたい。発信する場所がらでも分るやうに,カンファレンスの総意ではないことは強調しておく。また,上記twitterの発言と食ひちがふところがあったら,twitterの発言が記憶があやふやだったのだと思ってくださればよい。

この内容は暴露を意図したものではない。あったかもしれない内紛について,この日記は語らない*1。とはいへ,これを書くにあたって,ウェブにおいて語られてあることがあまりにすくないことは驚いた。この内容がいささかもあやまりのないものであるとは保証しかねるのだし,検証にも耐えないものなのは心苦しいが,まあ,しかたがない。

まづ,わたしとカンファレンスとのかかはりについて述べておく。わたしは今年に入ってからカンファレンスの準備に加はった。2月くらゐ。当初の発起人には,たぶん呼ばれなかったかで,加はらなかった。呼ばれてたかもしれないが,当初は乗り気ではなかった。それはいま次回について乗り気でないのと似てゐる。

さて,そのころの会合で,上記で紹介されてゐるわたくしのtwitterにおける発言に述べてあるとほり,スタッフが持ち出しでイベントをやるのは止さうといふことになった。それよりむしろ,日本のウィキメディアンが協力して,東京で会議を開くといふことにしたい,と*2。この時点で,スポンサーを積極的に仰ぐことや,次回への持ち越しもしないことが決定された。そのため,スタッフも通常の参加者と同様に参加費を支払ふことが要請された*3。プログラム冊子冒頭に記したやうに,東大地の構造化センターに加はっていただいたのは,のちのことであるため,2月の時点では予算規模のみこみがちっとも立てられなかった。

まづ受付をはじめたのは寄附だった。これは,上記方針によりカンファレンスにはまったく元手がなかったからである*4。参加費と寄附を2:1くらゐでやれればよいと思ってゐた。事前登録者の参加費が500円違ったのは,できればはやめの支払ひをお願ひしたかったからであった*5。参加費は受付体制が整はず,あとまはしにされた。参加費の受付をはじめたのは一月遅れて,9月からであった。このころは,まだ,サイトノーティスに掲載もしてゐなかったし,内容もだいぶぶん未定だったから*6,すべりだしはきはめて悪かった。報道各社に連絡しても反応がなかった。申込みがあっても,振込みまでいただけないことが多かった。

なにごとにせよ,もっとも金子がかかるのは準備である。この点,会場費に憂ひがないのは救ひであったが,11月に入った時点では,予算みこみの2/3しか資金がなく,このとき立てられた当日の準備予定が,のちのち,過少に見積もってゐたことを知らされたのである。

プログラム冊子を入稿し,冊数を200で発註したのが,ちゃうど11月の頭だった。このころ,一般参加者の名札ケースも200でお願ひをした。この時点では,参加が判明してゐる方は発表者を含めて,100人ちょっとだったため,よもや当日参加者があれほどいらっしゃるとは考へもしなかったのだった*7。その後準備が進むにつれ,そのほかの配布資料も同様の分量で準備されていった。

カンファレンスそのものについては,わたしは見てゐないし*8,べつに報告がなされるはずである。

最後に,みなさまから預ったお金は,解散ののち,ウィキメディア財団に寄附される予定である。

*1:そして聞かないでくださいww。

*2:本カンファレンスの運営は,当然共催であり会場校の東大には多大なるお世話になったけれども,ほとんどがウィキメディアンによって担はれてゐる。わたしじしん,以前のウィキペディア参加者であり,現在もウィキクォートウィキソース日本語版に携はってゐる。職業としてのウィキペディアンは存在しない――つまり,カンファレンスのスタッフは,ほとんど,それに参加することじたいが持ち出しなのではあった。

*3:のちのち募集することになるヘルパーについても,この趣意から参加費をお願ひした。これがよかったのかは今一歩かんがへがまとまらない。それでもこころよく引き受けてくださったかたがいらしたことはたいへんうれしかったのではあるけれど。

*4:寄附がどれほど集まったかは,詳細度はとまれ,のちに公表されよう。

*5:解散する以上,当日参加費がどれほど入ってもあまりよいことはないので,格安でもよかったはずだが,それでは事前に登録いただいた方に申し訳がたたないから考慮されなかった。

*6:カンファレンスの1週間まへに決ったこともあるくらゐで。

*7:30人もいらっしゃれば上出来とほんたうに思ってゐた。が,まったくの誤りだった。

*8:なにも分らない受付にをりました。