目を滑らせて気がついたものだけ。引用してコメントする形式。いつか最後まで行く。
はじめに
- p. 12「古くは、文化の中心地で文字が使用される傾向が強い。」
- 古い時代に——政治ではなく——文化の中心なんてあったんだろうか。
- p. 14「本来、文字とは話しことばを視覚化する働きを担うものである」
- 文語を学ぶ意義について述べた箇所の末尾だが、文字の本来義をどう考えるかということも問題にならないではないが、それを認めたとして、そこから文語を学ぶ価値を軽んずることになるのかどうか。
- p. ?「万葉仮名文書はおそらく漢文が十分には書けない、識字能力の低い人によって作成されたものかと考えられる。」
- 奥村氏の諸業績を踏まえればこれでは済まされないと思うのだが、なんでこうなったのか。
- p. 40「このような万葉仮名の使い分けを「上代特殊仮名遣」と命名した。」
- していない(江湖山1978。安田2003注12参照)。
- p. 41「通説では、[仮名の書き分けの]このような区別をそのまま母音の違いに求め、母音が八つあったと説かれることが多い。」
- 国語学の立場から上代語の母音をやるひとはほぼいなくなったので、通説もなにもないのだと思う。比較言語学では、8母音説は有力ではない。ペラール(2016)を参照。なお、後段の古層4母音説(大野晋説)も日琉諸語に遡りうるものではないことが明らかとなっており、通説とは言いがたい。
- p. 41「ハ行の子音は両唇摩擦音[φ]で、奈良時代よりさらに古くは両唇破裂音[p]であっただろう」
- ここだけじゃないけどなぜ[ ]? それはともかく、奈良時代にが[p]なのか[φ]なのかはそんな確定はできないはず。
- p. 42「トルコ語 後舌母音…I a o u」
- Iはıの誤り。なお、母音調和が発音の労力軽減だというのは、ない説ではないのかもしれないけれど、もっと形態論的な動機のほうが強かろうなと思う。なお、古代日本語に母音調和はないか失われている。早田(2006→2017)が言うように、母音調和は音が揃っていればいいわけではない(早田2006では、かつてはあったとするほうが説明できることが多いという)。なお、つぎの頭音法則同様、唐突にアルタイ語なるものが出て来て不穏。
- p. 45「これ〔露出形と被覆形〕は、非独立形と独立形というような、いわば名詞の活用とも言うべきものである。」
- 複合形を作る接辞が伴うだけのはなしを活用と呼ぶのは望ましくない。活用は統語上の要請にしたがって起る現象だが、複合は語の範疇なので、それとは区別せねばならない(連用形複合もほんとうは連用形と言うべきではないのだろう)。
- p. 47「連続ではなく複合したという証が連濁なのである。」
- 連濁の起源として複合が考えられるのはたしかだが、それに留まるわけではない。用語として不用意に思われる。
- p. 48「この日本語のCVという単純な音節構造から見ると、前に挙げた中国語の音節構造(たとえば「換」kwɑn)は呆然と戸惑うばかりであり、そう簡単には対応できなかったに違いない。」
- pp. 48〜50 シラビームとモーラ
- いわゆるシラビーム方言とモーラ方言が系統的に同じわけでもないので、よく分らない結論で満足するよりは、あえて触れないほうがいいのではないか。
- p. 51 本来語かいなか
- pp. 64-65
- 望蜀のことではあるが、方言分岐論はいま驚くべき進展を見せている。五十嵐(2023)を参照。
第1章 古代前期: 奈良時代まで
- p. 117
- ヲコト点の説明がこれだと誤解する
- p. 122
- 有年申し文、異読?
- p. 126
- セでサなら異体字のヒにあたる部分ではないのだろうか(未勘
- p. 127
- ところで!?