kzhr's diary

ad ponendum

整合性

M30年には整文堂では既に活字の改刻に入つてゐたのではないか、との疑問。「秀英體研究」p. 523によると、M29年の段階で、紙幣局由來のもの(い、ろ、に、ほ、へ、ね、や)と築地活版由來のもの(と、あ、た、れ、を)の二つを採用してゐるほか、「は」などは獨自のものを利用してゐる由。たゞし、ORADANOの「ろ、に、へ、ね、の、や」は寧ろ築地活版由來のものに見えるし、その他にしても、ORADANOと字形が一致しないものも見られる。しかし、「ゆ」は築地活版の前期形*1と後期形の違ひがあまりないことから正しいと思ふのだが、整文堂の獨自になるものであり、築地活版のものではなからう。

このとき、築地活版の見本帳を探し出してそれを元手に新たに作り直すか、今の字形を保存するか、といふのはにはかに答へを得がたい氣がして、かうして困惑を公にしてみる。

*1:大和田建樹『和文學史』博文舘、東京築地活版製造所印刷、明治25、331コマ