kzhr's diary

ad ponendum

解釋の豐穰と多樣性について

いくらにでもとりやうがある、といふのと、それをいくらにでも樂しめるといふのは當然別のはなしであつて、前者をただ高揚するのは相對の魔に取り憑かれただけではなからうか。