[id:uakira:20070325]とそれについての私のコメントに關聨して。
書體の權利の實務をかんがへたとき、それをささへるのは誰で、その人はどんな精神のもとに書體保護に從事するだらう。これがこの書體であり、それについて權利があたへられると述べられるほどの書體批評のことばがないといふ以前に、これは私の書體であり私が權利を持つのであると主張できるほどのクリーンさが、過去およびいまの書體關係業界にあつただらうか、とおもふのです。
岩田の明朝體は秀英舍の活字に、石井中明朝は築地12pt活字に、游明朝體は秀英明朝に對してどのやうなオリジナリティを持つてゐてそれゆゑ保護に値するのだ、とわれわれは述べることができるだらうか?と。
いままで書體の保護に理解がえられなかつたのは、出版や印刷なども含めた業界が書體の權利について「おくれて」ゐたためであり、いまも權利がうまれる素地があるとは必ずしもいへない、と書いて、寫研やモリサワのコンテストではどのやうな批評のことばがもちゐられてゐるのだらうとおもひだしました。しかし、それが蓄積されてゐなければ、當座限りのものといふことで、當座限りのものに權利はないのです。